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泣き虫忍者の日記帳(SicxLives ~Link&Link&Link~)
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焔の月 十日目


 ――私たちは、友達になった。

 どちらがそうと言い出したわけじゃない。けれど、気がつけば私たちは一緒にいた。
 里も違う、学校も違う。だから会える時間は限られていたけれど、それでも、けして少なくない時間を私たちは一緒にすごした。

 特別な事をしたわけじゃない。
 ただ、他愛もない話をして、一緒に勉強して、時間があれば技を競い合って、時折外の町へ遊びに出る。
 そんなものだった。別段珍しくもない、何処にでもある友達同士の、ありふれた時間だった。

 けれど、そんな時間が私を、鴉家の忍から、ただの揚羽にしてくれた。
 蛍の出来損ないでなく、ただ一人の揚羽という人間にしてくれた。
 彼との時間で、私はようやく自分自身を獲得できたのだ。
 だから私は、このありふれた時間が、とても愛おしくて、大切だった。

 私たちは友達でいて、兄妹のようでもあった。
 互いに家族に恵まれなかったからか、飢えていたからか。それもまた自然に、そうなっていた。
 彼は私を妹のように世話を焼いてくれたし、私は彼を兄のように慕っていた。
 いつも暗かった私に、彼はああしろだとか、こうしたほうがいいだとか、口うるさく言った。私はそれを素直に聞き入れてみたり、たまに拗ねて頬を膨らませてみたりした。
 そんな彼も、たまに耐え切れなくなって、愚痴を零したり泣いたりした。
 そんな時は、私が励ましたり、慰めたり、一緒に泣いたりして彼を助けた。
 やっぱり、兄妹のようでもあったと思う。彼と一緒にいるのは、とても安心できて、幸せだった。



 目を覚ますと、既に夜が明け始めていた。

 随分長く眠っていたらしい。
 この町に来て何度目かの感覚。寝すぎた時の気だるさを感じて寝返りをうった。
 枕に顔を伏せる。
 まだ目が覚め切っていないのか、ぼんやりとした意識は、まだ夢の中にいるような心地だった。

 まだこうしていたい。
 そんな二度寝の誘惑を振り切るように、ゆっくりと起き上がった。
 頭痛はすっかり落ち着いていて、耳鳴りもしない。
 やっぱり疲れていたみたいだ。
 気分の悪さも、抜けている。

 …………、

 もう少し、寝ていようかな。
 まだ二人が起きるまで時間はあるし、もうちょっとだけ。

 倒れこむように横になって、毛布に包まって丸くなった。
 まだ自分の体温が残っている。ほんのりと暖かい毛布に包まれると、なぜだか凄く、安心できた。

 あっという間に眠気は押し寄せてきて、沈み込むようにまどろみへ落ちてゆく。

 ああ、これは、深く眠ってしまいそうだ。

 そんな気がした。
 けれど、それでもいいか、とも思う。
 多少寝坊したところで、あの二人は怒ったりしないだろう。きっと珍しがって笑うくらいだ。
 それくらい、別に構わない。今はこのまま、眠ってしまいたかった。

 意識がゆっくりと沈んでいく。

 深く、深く……。



 ――彼と会うようになって、一年が過ぎた。

 私は随分と、変わったらしい。

 まず、笑うようになった。そして、怒るようにもなった。
 ようやく、人間らしい感情を表に出せるようになって。私ははっきりと物を言うようにもなった。
 嫌なものは嫌と、おかしい事にはおかしいと、口に出すようになった。
 まだ上手くはできなかったけれど、人と話す事も以前に比べてできるようになっていた。

 全部彼のお陰だった。
 彼と何度も話をして、彼の強さと優しさに触れて、その弱さも知って。
 私は少しだけ、前を向くことができた。

 私にとって二度目の合同訓練が終わって、冬になって。
 その頃には、いつの間にか私への嫌がらせは随分と減っていた。
 小さな事は日常的にあったけれど、それでも以前のような過激さはなくなっていた。
 だからといって、表に出ない陰湿な事があった訳でもないのだから、本当に減っていたのだ。
 不思議と、友人と呼べるほどではないけれど会話をする人も増えた。
 当たり障りのない挨拶程度の物だったけど、今まではそれすらも無かったのだから、大きな変化だった。

 少ないながら、友人も出来た。
 普通とはちょっと違う、特殊な友人達だったけれど、それでも彼と会えない時はよく一緒にいた。

 以前のままだったら、考えられない変化だった。
 だからやっぱり、私は随分と変わったのだ。

 彼との仲は、その頃も変わらず良かったと思う。
 相変わらず私は彼を兄のように思って懐いていた。
 ちょっと変わったのは、私が自分を出せるようになってから、喧嘩するようになったり、彼をからかったりするようになったくらいだ。
 喧嘩と言ってもちょっと揉める程度で、からかうと言っても彼を「お兄ちゃん」なんて呼んでみたりする程度だったけれど。

 彼も相変わらず、口うるさく世話を焼いてくれたし、やっぱり妹のように思っていてくれたのだと思う。
 だけど、それだけじゃなかったのだ。

 それからまた一年が経って、秋の合同訓練の日。

「俺はお前が好きだ」

 祭りの最中、私は彼に、告白されたのだ。

 友人としてでなく、妹のようにでなく、女性として好きなのだと。

 私は、なにも答えられなかった。
 答えられる、はずが無かった。
 今まで、ずっと兄のように慕っていた相手から、突然そんな事を言われたところで、答える術なんて持ってなかった。

 結局私は、何も答えられないまま逃げ出した。

 そして私は、そのまま彼と、暫くの間距離を置くことにした。

 混乱したままの状態じゃ、とても返事なんて考えられない。
 落ち着いて考えるだけの時間が欲しかった。

 それからは、随分と悶々とした日々が待っていた。
 いつもそわそわと落ち着けなく、思考も纏まりに欠けていて、大変だった。
 一人、部屋に篭って考えても見た。
 友人達に相談もしてみた。
 彼と出会ってからの記憶を、何度も何度も思い返した。

 気づけば、季節はすっかり、冬に変わっていた。



 夢を見ていた。
 ……多分、夢を見ていた。

 その夢の中の私は、楽しそうに笑っている。
 笑って、笑顔で町を歩いて、買い物をして。
 三郎さんと、シンシアさんと、楽しそうに話していた。

 私は、そんな夢の私が、とても羨ましくなった。

 ぼぅ、と、どこか深いところから、私を眺め続けた。

 ふと、視線を感じた。
 振り向くと、私がいた。
 愉快そうに微笑んで、私を見ていた。

 ――あなたも、笑えばいいのに。
 無理だよ。私はあんなふうに笑えない。
 ――笑えるよ。だって昔は出来ていたもの。
 無理だよ。もう彼がいない。あの頃には戻れない。
 ――そんなことない。思い出して。
 思い出す?
 ――そう、あなたは忘れてるだけ。悲しくて、あの頃の自分を忘れているだけ。
 忘れてる……。
 ――けど、もう少し。あなたは、もう思い出し始めている。

 あの頃は……あの頃の私、は――



 ――雪の降る夜、私は彼に答えを伝えた。

 迷った事も、悩んだ事も、不安に感じた事も全部打ち明けて、私自身の気持ちを伝えた。

 ……結局のところ、私も彼が好きだったのだ。
 意識していなかっただけで、ずっと、出会ったときから惹かれていたのだ。
 私を、一人の人間にしてくれた彼が、堪らなく好きだったのだ。

 私たちはその日、友人から恋人になった。

 ……そうは言っても。
 特に付き合い方が変わったわけじゃない。
 今までのように、一緒に出かけて、勉強して、遊んで。
 殆ど変わらなかった。変わったのは、二人の距離感。
 お互いに半歩くらいずつ、下がっていたと思う。なんとなく気恥ずかしくて、照れてしまっていた。

 ……それに。
 恋人として付き合っていくのだから、いずれ彼に肌を見せる事になるのかもしれない。
 そう思うと不安で、彼に触れるのも躊躇ってしまった。
 私の体は、あまりにも醜い。
 彼に嫌われてしまったらどうしよう、と考えたら怖くて仕方が無かった。
 自分じゃどうにもならなくて、友達に相談もした。
 彼女達は「気にならない」、「彼なら大丈夫だ」と言ってくれたけれど、不安は消えなかった。

 彼は何も言わなかった。
 気を使ってくれたのか、そういうつもりがまだ無かったのか、私には分からない。
 けれど、そのお陰で私達は一緒にいられた。
 一緒にクリスマスを過ごして、初詣にも行った。
 彼はもう学生ではなかったから、任務で会えない日も多かったけれど、それでも沢山の時間を一緒にすごした。

 そんな微妙な距離のまま、時間が流れて二月。
 ようやく思い切る事が出来た私は、任務に向かう彼を見送りに行って、

 その時、初めてのキスをした。

 とても不安だった。緊張していた。怖くもあった。
 胸が張り裂けそうなほどに、ドキドキとしていたのを覚えてる。
 けれど、唇に触れたら、嬉しくて、幸せで、安心して、ぽぅっとなった。
 触れた唇から、彼の気持ちが伝わってきて、不安が嘘のように解けてなくなった。
 ……縮めてみれば、なんて事の無い距離。もっと早く、こうしていればよかったとさえ思うことが出来た。
 今日から暫く、彼と会う事は出来ない。帰って来るのは、二週間後だ。

「……バレンタイン、楽しみにしてて」
「……おう」

 彼は笑って、任務へと向かって行った。

 そして。

 大きな戦争が始まった。



 ……意識が戻った。

 いや、目が覚めた、と言った方が、感覚としては正しいのかもしれない。
 昨日と同じだ。
 記憶はある。あるのだけど、まるで実感の伴わない、夢のようにおぼろげな記憶だ。

 明らかに異常だった。
 無意識に取った行動を覚えていない、なんて事は時々あることだけれど、それは一時の事。
 今みたいに、二度寝から起きて、町を出て今まで意識が無いなんていうのは異常以外のなんでもない。
 それも完全に意識が無いわけでなく、夢の中のように曖昧な意識が残っているのだ。
 流石に疲れや、体調が悪いからだなんて思っていられない。
 そして、私の意識が曖昧な時でも、私は動いていて、会話をしている。
 実感の伴わない記憶は、その間の出来事なのだ。
 ……まるで、もう一人の私が居るみたいだ。
 私はそのもう一人を通して、世界を見ているのだ。だから、記憶にも実感がわかず、意識も曖昧になる。

 ……馬鹿馬鹿しい。

 憂鬱な息が漏れた。
 なんだか最近、随分ため息が増えたような気がする。
 それも仕方ないような状態なのだけど、ため息を付くたびに気持ちが疲れていくような気分。悪循環。

 分かっていても、またつい零れてしまう。
 憂鬱な気持ちになりながら、前を歩く二人を見た。
 ……少し距離が開いている。
 置いていかれないように、少しだけ歩みを速めた。



 ――戦争のきっかけは、良くわからない。

 ただ、ある要人が暗殺されたのだと聞いていた。
 不穏な噂は聞いていたし、最近東西の国でトラブルが絶えないと報道もされていた。
 だからその暗殺が引き金となって、戦争に発展したのだそうだ。

 そして、私のいる里も、巻き込まれる事になった。
 国に仕える立場にあるのだから当然の事だったけれど、それはつまり、西の国に仕える彼の里と敵対する事に他ならなかった。
 里同士が友好関係にあろうと、仕えている国が違えば、そして戦争になってしまえば関係が無い。
 私と彼は敵同士になり、会う事は出来なくなった。

 当然バレンタインに会うことなんて出来ず、私は彼に何も渡す事が出来なかった。

 それから季節は一巡し、更に春になって。
 私は学生ではなくなり、初めての任務を言い渡された。



「ふぅ」

 跳ね回るウサギの人形を破壊して、一息ついた。
 この世界には、こんな不思議生物が多い。
 というか、生物なのかも疑わしいところだけれど、動きまわって痛みを感じているのをみると、やっぱり生物っぽかった。
 そして、そんな不思議生物に限ってやたらと強かったり厄介な相手だったりするのだ。
 やっと慣れてきたけれど、それでもやっぱり相手にしづらい。人間相手だったらいいのだけど。

 それにしても、今日は随分と体が軽く感じられた。
 気にかかる事は多いけれど、案外体調は良いのかもしれない。

 手に握った銃を懐にしまって、二人に振り向いた。

「……と、少し野暮用があるので、お二人は先に戻っていてください」

 二人にはそれだけ言って、パーティーを離れた。
 あまり何事かと聞かれるのも困ったから、返事は聞かなかった。

 二人から離れて、砂地を一人で歩く。
 町から少し離れるように、森へ向かって歩いていくと、一抹の寂しさを感じた。
 町の外ではいつも三人で行動していたからだと思う。
 バラバラに追い散らされたり、逸れた事はあったけれど、自分から仲間と離れるのはこれが初めてだ。

「……仲間、かぁ」

 不思議な気持ちだ。
 複数人で任務に出た事もあるけれど、仲間とは呼べなかった。
 誰も私を仲間だなんて思っていなかったし、私も思っていなかった。
 けれど、二人といると少しだけ……

「ぁ……」

 一瞬、視界が揺れる。いつもの眩暈だ。
 僅かに体がふらついたけれど、それだけ。倒れるほどじゃない。
 ここ最近、あまりにも頻繁に起こるせいで、すっかり慣れてしまった。
 とはいえ、この眩暈が起きると頭痛や耳鳴りまでがついてくるから、辛い事には変わり無いのだけど。

 砂地から森の中へ入ると、薄暗いせいか外よりも空気がひんやりと冷たかった。
 暗い雰囲気に、薄気味悪い木々が並ぶ光景に、あの時の、あの場所が重なる。
 途端、また眩暈がして。
 世界が切り替わる。

 ――声が、でなかった。
 目の前には、記憶にある通りの、あの時の森が広がっている。
 記憶したとおりの、あの森の風景だった。

 夢を見ているのかと思った。

 ここは、あの場所とは違う。
 ここはアンジニティだ。同じ場所なんてありえない。

 森を歩く。記憶をなぞるように。

 この光景は、幻に違いない。
 記憶から浮かび上がった、頭の中で再生しているだけの幻覚に違いない。
 現実は全く違う森で、私の頭が勝手に記憶とすり合わせて、そう見えるように錯覚させているのだ。
 だから今見えてる世界は幻だ。幻覚だ。仮想の現実だ。

 ……けど。
 もしこれが、
 現実だったなら、
 この先には、
 彼が、

「――――」

 突然、視界が開けた。
 そこに広がっているのは、森の中に開いた小さな空間。
 以前誰かが野営でもしたのだろう、焚き木の後が残っている。
 幻覚は、あっさりと消えてしまった。

「そう、だよね」

 ……当然だ。
 幻は幻でしかない。
 今ここにある森は、アンジニティに出来た、なんて事の無いただの森だ。

「……はぁ」

 なんだか酷く疲れた。

 燃え残っていた焚き木の跡に、改めて火を点ける。
 近くに枯れ枝も集められていたから、手間が省けて助かった。

 チリチリと音がして、パチパチとはじける。
 火は少しずつ強くなって、ゆらゆらと揺れて煙を上げる。
 細くあがる煙は、空に向かって真っ直ぐ昇っていく。

 それを見上げながら、私は小さな包みを取り出す。
 ささやかな装飾を施された、小さな包み。中身は、いくつかのチョコレート。
 まともな状態でなくても、これを忘れなかった事だけは褒めてもいいと思った。

 今日で、五回目。
 ここと元の世界では暦が違うだろうから、前から何年経ったかは分からないけれど。
 これで五回目の、彼のいないバレンタインデーだ。

「……手作りじゃなくて、ごめんね」

 手に持ったチョコを見つめて、誰にとも無く……いや、彼に向かって呟いた。

「    」

 ぽつり、と名前を呼んだ。
 返事は、当たり前だけど、無い。

 日が当たらないからだろうか。
 何故だか酷く、寒かった。

 ……このまま呆けていても、火が弱まってしまう。

 チョコレートを火のそばにもって行き、焚き火の中に落した。

 包装が溶けて中のチョコレートが溶け出た。
 包装が、チョコが、煙になって昇っていく。
 煙を見上げて、空を見る。鮮やかな青が、広がっていた。

 不思議な気分だった。
 何もかもがぼんやりとしている。
 思いも、感情も、形になる前に崩れて行くようで。
 どうにも、空虚だった。

 一回目は、寂しかった。彼に会えなくて寂しかった。
 二回目は、不安だった。戦争は終わらず、彼の生死もわからなかくて不安だった。
 三回目は、苦しかった。自分のしたことに耐えられなくて、苦しかった。
 四回目は、辛かった。彼の居ない世界で生きることが、何よりも辛かった。

 それなのに。
 今はなにも、浮かんでこない。

 もっと悲しくなると思っていたけれど。
 もっと色んな事を思い出すと思ったけれど。

 ……きっとこんなもの、なんだね。

 全てはもう、ずっと前に終わっているのだ。
 今更何を思っても、私が悲しんでも、時間は戻らない。
 全てはあの時に終わってしまったのだ。私が、終わらせてしまったのだ。

「……よっ!」

 突然、声を掛けられた。
 足音にも気配にも気づかなかったけれど、なぜか驚かなかった。
 この人なら追ってくるだろうなと思ってはいた。だからかもしれない。
 けれど、それにしても奇妙なほど静かだった。
 ああ、やっぱり虚ろだ。

「あぁ、三郎さんですか」

 振り向こうとは思わなかった。
 煙が高く昇るから、空が青くて、目が離せなかった。

「……状況は良くわかってないんだがな、一つだけ尋ねていいか?」

 三郎さんの声が遠い。音がぼやけている。

「……どうぞ」

 そう返事をした私の声は、冷え切っていた。
 やっぱり、ここは、寒い。

「じゃぁ、一つだけ」

 三郎さんが息を吸う。一拍、間が開いた。

「それで、すっきりしたのか?」

 ……どういう意図だろう。
 言葉通り、ではなさそうだけれど、わからない。
 わからないから、言葉通りの意味で受け取る。

「……すっきり、ですか」

 どうだろう。
 すっきりした、と言えばそうなのかもしれない。
 この虚ろで、何も無い、静かな気持ちが、すっきりしているのだとしたら、そうなのだろうけれど。

「どうなんでしょう。よく、わかりません」

 あまりに、曖昧なのだ。
 そもそも、何かをして、すっきりしたかったわけじゃない。
 私はただ……、

「約束、でしたから」

 そう、約束だったから。
 とても一方的な、約束だったけど。

 私は、彼に渡せなかったものをずっと、渡そうとしているだけだ。
 それはチョコレートに限らない。今日だけじゃない、毎年、色んな日に、私はこうしていた。

「そうか、なら俺はいいが……抱えすぎて溺れるなよ? こんなんでも心配してんだ」

 三郎さんの言葉は、温かかった。

 あぁ、そうか。

 強引で勝ってで、変な人なのに。私がこの人を嫌えないのは、似ているように、思ったからなんだ。
 この人も、彼のように色んなものを抱えて、それでも笑える、強くて優しい人なんだ。

「……ありがとうございます」

 僅かに、頬が緩んだ気がする。
 ほんの少し、寒くなくなった。

「ま、俺は天才で英雄だからな」

 振り向かなくても、三郎さんがどんな顔をしているのかわかってしまった。
 本当にこの人は、不思議な人だ。

「……ここからでも、届くと思いますか?

「女の子の願いだ。届くし届かないなら届けてやるさ」

 自信と意思に満ちた、力強い言葉。

 ああ、この人がそう言うのなら安心だ。

 三郎さんの言葉には、そう思わせてくれるだけの何かがあった。

「そう、ですか」

 だからきっと、届くのだろう。
 届かなくても、届けてくれるのだろう。

 なら、彼の元へ。

 チョコも、思い出も、私の心も、全部、彼の元へ。

 青が、霞んで行く。
 音が、消えていく。

「……それ、なら……よか……った……」

 そして、私自身も、曖昧になって、融けて行く。

 体から力が抜けた。
 膝から崩れるように、墜ちる。

「    」

 最後にもう一度だけ、青を見上げて、名前を、

 誰かの手が、私を支えてくれた。
 触れているととても安心する、暖かい手だ。

 ……ああ、やっぱり、似てるんだなぁ。

 世界がずっと、遠くなっていく。
 煙は高く、青に溶けて行った。



 ――最初の任務は、暗殺だった。

 卒業したての人間に任せるような仕事じゃなかったけれど、私の能力「だけ」は高く評価されていたらしい。
 その上、私は「失敗しても構わない」人間だったから、都合が良かったのだろう。

 命令どおりに暗殺対象を始末する。
 護衛は居たが、拍子抜けするほど簡単に初仕事は終わってしまった。
 相手の絶命を確認し、後は逃げるだけ。問題は無い、はずだった。

 追っ手が来るのは予想していた。
 けれど、まさか追っ手が一人だとは考えていなかった。

 その一人は、私よりも遥かに腕が立ち、仕掛けた罠は全てかわされ、撒こうとすればあっさりと追いつかれた。
 撃退しようと応戦したものの、徐々に追い詰められ、苦無も暗器も底をついた。
 後はただ逃げ回るだけ。そしてそれも難しかった。

 追っ手の投げた手裏剣を辛うじて避ける。
 けれど避けた先にもう一つ、苦無が飛んできて、私の面を弾き飛ばした。

 もう次は避けられない。咄嗟に動ける体勢ではなかった。
 だからせめて致命傷にはならないように受けようと身構えた。

 けれど、なぜか追撃は来なかった。

 何を思ったのか、追っ手は手を止め、その場で立ちすくんでいる。
 罠だろうか、とも考えた。
 でも、どの道、このままでは殺されるのだからと、そのあからさまな隙に飛び込んだ。

 私はその時、気づけなかったのだ。
 追っ手が何故、動きを止めたのか。その理由に。

 ――それが全ての終わり。

 刃が、胸に沈む。

 深く突き込み、引き抜くと、私の視界は真っ赤な色に染まった。



 目の前が真っ赤な色に埋め尽くされて、私は飛び起きた。

 動悸がする。呼吸も荒い。
 どうも、随分といやな夢を見ていた気がする。

 そうだ、多分アレは私の初任務の時で……、

 ……ううん?

 多分、追われていたような、気が。

 ああそうだ、確か追っ手に追われてたんだ。  

 ええと、それから、何かがあって……何か? 何が、

 違う、私はあの時、彼を、

 彼? そう、彼だ。

 あの時彼が、私を……?

 そうじゃない、私が……、あれ、どうしたっけ。

 なんでだろう、よく思い出せない。

 忘れるはずが無いのに。

 彼の事なら、忘れるはず――?

 あ、れ。

 彼?

 ……彼って、誰の事だろう?

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