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泣き虫忍者の日記帳(SicxLives ~Link&Link&Link~)
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焔の月 八日目

彼女は孤独だった。
誰からも愛されず、好まれず、ただ独り、孤立して生きていた。





 十一の春。
 私は里の学校に通う、学生になっていた。

 方針の変化、とでも言うのだろうか。私が十一になったこの年、父は私をこの学校へと入学させた。
 それは別段、特別な理由があったわけじゃないのだと思う。きっと、ただ単に、私を見限ったというだけの事なんだろう。
 その年から、あからさまに蔑ろに扱われるようになったから、多分、おおよそ間違ってはいないと思う。

 そうして入学する事になった学校だったのだけど、私はどうにも、馴染む事が出来なかった。

 里の学校は勿論、里の外にあるような所謂普通の学校ではなく、忍を育成するための学校だ。
 とはいえ、私が通っていた「普通科」は、外の学校とそれほど違いは無い。
 授業内容が異なるくらいで、同じように年に数度テストがあり、その如何で進級の可否が決まる。
 基本となるシステムに、それほど違いは無いのだ。

 私にとって不幸だったのは、学校の授業レベルが随分と低かった事だった。

 学校で受ける授業はどれも、父の訓練に比べたら比にならないほど易く、殆どが既知の技術、知識ばかりだった。
 時折知らない事があっても身につける事は難しくない。一般教養や里の外における常識等は、覚えるまでに少し掛かったけれど、それだけだった。

 私はその数度のテストで、最高点以外を取れなかった。

 最初の内こそ、成績の良さや母の名前で寄って来る人は居たけれど、それも半年としないうちにいなくなった。
 産まれてから十一年。
 父以外の人間とは殆どあった事も口を聞いた事も無かった私に人付き合いなんて出来るはずも無く、憧れは妬みに変わっていき、私はあっという間に孤立した。

 家柄もきっと、大いに関係していたと思う。
 鴉という名は里の中じゃ影響力が強い。
 それで先生からは腫れ物を触るような扱いを受けていたから、それもまた、私の孤立に拍車をかけていたのかもしれない。

 同級生からは成績や家柄を妬まれ、先輩からは目障りだと疎まれた。

 せめて、少しでも愛想がよければ違ったのかもしれない。
 なにか気の利いた態度の一つでも見せられれば変わっていたのかもしれない。
 けど、私はただ状況にうろたえるばかりで、教室で小さく縮こまっている事しか出来なかった。
 そんな、おどおどとしてはっきりしない私には、いつの間にか「うじ虫」と、あだ名が付けられていた。

 二年が経ち、十三になって二学年進級しても、状況は変わらない。
 それどころか、より悪化していた。

 進級し、クラスメイトの顔ぶれが変わると、それは始まった。
 上手くいかない焦りや、ちょっとした苛立ち、些細な不満。
 それをぶつける対象に、私が選ばれた。

 最初の内はちょっとした中傷があったり、靴を隠されたりする程度の事だったけれど、日毎に行為はエスカレートしていった。

 教科書が破かれていたり、筆記具が壊されるようになり、忍具が盗まれる事もあった。
 その頃からは暴力も混ざり始め、一番酷かった時期には、犯されかけた事もあった。
 その時は相手が私の体を見て逃げ出したから助かったけれど、本当に危うかったと思う。

 そんな生ぬるい地獄のような日々が続いて、それが私の日常になり始めた頃。
 三年の秋、ほかの里との合同訓練があった。
 合同訓練といっても、友好関係にある里同士の交流会のようなもので、三年次の秋から始まる、毎年の恒例行事だ。
 その内容は里対抗での旗取りゲーム。
 それぞれに用意された旗を取り合う、ただそれだけのお遊びだ。

 私はそんなお遊びで、独り、旗を持ってぼぅっと立ち尽くしていた。

 この行事で旗を守ろうとするなら、独りが逃げ回るか、大勢で守るか。隠す事は禁止されているから、この二択になる。
 だからこうして、私が独りでいる事も理に適ってる。けど。

 独り残されるのは、ひたすらに退屈だった。

 だからといって、誰かがいたところで大した差はないし、むしろ独りの方がよっぽど気が楽だったけれど。
 そもそも、私はこの行事があまり好きじゃなかった。
 刃を潰した武器、忍具。そんなぬるい訓練に何の意味があるのか、私には解らなかったのだ。

 三組目の敵を気絶させて、茂みに運んで寝かせる。これで九人目だ。
 武器だけじゃなく、敵も弱い。
 相手も皆、本気じゃないのだ。殺気も感じられない。
 そんな相手が何人来たって、怖くなんか無かった。まるで負ける気がしない。
 始まってから二時間。私はいい加減嫌気がさしていた。

 次、また敵が来たらさっさと旗を渡してしまおう。

 そう思った。
 後で面倒な事になりそうだとも考えたけれど、もうどうでもよかった。
 だから、次の気配を感じたとき、私は投げやりに旗を放棄して終わりにする、

 そのはずだった。



 ……受け取った袋を開けてみると、中から柔らかな若草色の生地が顔を覗かせた。

 丁度持ち合わせた材料で染めてもらったのだけど、思った以上に良い色が出てる。
 頼んでから一日も経っていないのに、こんな綺麗に仕上げてくれるなんて、この世界の職人はすごい。
 もう忍でもなんでもないのだから、この格好も無いだろう。
 そう思っての事だったけれど、こんなに良い物をもらえるなんて、思ってもいなかった。

 着物を羽織り、帯を締め、髪を結い上げる。
 こうやって髪を上げるのもなんだか久しぶりだ。
 着物の帯には村正を挿して、懐には先日譲ってもらった拳銃を忍ばせた。

 そうして鏡の前で頭を悩ませながら身なりを整えていると、不意に笑い出しそうになった。

「くすっ」

 まるで女の子みたいだ。

 そういえば、任務以外でこんな着物を着たのは随分と久しぶりだ。
 久しぶり……といっても、高々数年前の事だけど、思えばあれ以来、こうして年頃の女の子らしい格好なんてずっとしていなかった。

 ほんの少しだけ、浮かれてる。
 今になってようやく、少しずつ解放されたのだという実感がわいて来た。
 私はもう、忍じゃないんだ。
 実感に伴ってそう思えてくると、とても気が楽になった。

 ――ふいに、耳鳴りが鳴った。



 
 不思議な気分だった。
 足が軽い。ふわふわと宙に浮いているような心地だ。
 衣装を変えただけだって言うのに、まるで別人にでもなったかのよう。
 「誰か」を演じてるときとは違う、奇妙な感覚だった。耳鳴りはやまない。

「すいません、お待たせしました」

 宿の外に出ると、二人は既に、並んで立っていた。

「そんなに待っちゃいないさ。っと、こりゃあまた」

「キモノ……と言うんだったか?本でしか見たことはないが……」

 三郎さんもシンシアさんも、私の格好に少なからず驚いたようだった。
 予想はしてたけれど、実際にこう注目されると、照れくさい。

「えっと、あの、変、ですか? 実は着たのも久しぶりで……」

 少し顔が熱くなってるのが解った。
 二人になんていわれるのかと考えると、それでもう、心臓が煩く脈打つ。

「いや、変ではないぞ。あげはちゃんはそういうのがよく似あってると思うぞ!」

「見慣れない服だが、よく似合っていると思う」

 二人に褒められると、ますます熱が増すようだった。
 けれど、嬉しい。

「……よかった。ありがとうございます」

 気づけば頬は緩み、私は笑っていた。
 ああ、作らなくても笑う事は出来るんだ、なんて。そんな当たり前の事をぼんやりと考えた。

「可愛いもんだ。……とりあえず、かるーく情報収集と飯に行くとしようじゃないか?」

――――――――――――――――

 それなりに歩き回って情報を集めようとしたものの、大した収穫も無く。
 合流場所に行くと、すでに二人が居た。
 項垂れてる三郎さんを見ると、どうやら二人も同じみたいだ。

「くっそー、中々情報屋に会えねぇなぁ……どんな街にでもいるもんだろうが……こっちは手柄なしだ……」

「これといって目新しい話は聞けませんでしたね。まぁ、こちらも特に欲しい情報があるってわけでもないですけど」

 ただ漠然と話を聞くだけじゃ、得られる情報もたかが知れている。
 まぁ当然と言えば当然の結果だった。

「こちらも西の森が危険だ、ということを再確認した程度だな…」

 最後、シンシアさんの森、と言う言葉に反応して、三郎さんがとてもいやそうな顔をした。
 多分、私も同じような顔になっていたと思う。 

「も、森か……迷子には会いたくないもんだ……」

「アグレッシブな迷子さんは……もう遠慮したいですね……」

 あの変な格好をした迷子を思い出して憂鬱になる。
 やっぱり、この世界には変人が強い法則でもあるに違いない。

「今のトレンドは迷子よりもっとたちが悪いらしいが……まあ、いずれにせよ遠慮したいな……」

 アレよりも酷い相手となると、もう想像するのも放棄したくなる。
 うん、森は絶対に避けるべきだ。

「しかし、情報不足だな……もうちょい情報が欲しいな。一応この世界からは出たいからな」

「そういえば世界の壁が壊れたとか、そんな噂もありましたね」。

「明確な場所とかが言われてる訳じゃないのが面倒な噂だけどな」

 そう、具体的な情報なんて無い、いい加減な噂だ。この世界に来てすぐ、確かに聞いた覚えがある。

「そーいや、シアたんとあげはちゃんも一応は脱出が目的なんかね?聞くのは今更かも知れんけどな」

 聞いた割りには、あまり興味のなさそうな三郎さんだった。

「まあ、いきなり放り込まれたからな。まずは脱出が第一目的だ」

 と、シンシアさん。

「私は……別に脱出したいとは考えてませんね。元居た世界よりはここの方がよっぽど気が楽ですし」

 もしも脱出して、元の世界に戻ってしまったら、私は死ぬしかない。
 だったらまだ、この世界で暮らすほうがよっぽど長生きできる。

「オーケー、オーケー。ま、脱出したからといって元の世界に帰れる保証なんていうのはないしな。アゲハちゃんはちょっと目的がずれるが良かったら協力してくれると助かる」

「一方通行でなければ戻ってくることもできるしな。『向こう側』を見ておくに越したことはないだろう」

 ああそっか、脱出した先が元の世界とは限らないんだ。
 それにもし行き来が出来るのなら、またここに戻る事もできる。それならこのまま付き合うのも悪くない。けど、

「協力するのは、構いませんけど……その、私で力になれるかどうか……」

 このまま一緒に行動すると考えて、最初に浮かんだのはこの事だ。

「これまでもお二人には色々と、迷惑をかけてしまいましたし」

 情けない事に、今までに何度か有った戦闘で、私は殆ど役に立てていない。
 これからも、役に立てるとは限らない。足手まといになるくらいなら、悲しいけれど別行動をしたほうがいいとすら思った。
 ……なぜだろう、もやもやとした違和感を感じた。耳鳴りが煩い。急に声が遠のいていく。
 シンシアさんが口を開くのを、私はどこか遠くで眺めているような気分だった。

「旅は道連れ……と、言うらしい。私は冒険者ではないが」

 それはフォローになってない。そう思いながら私は俯く。
 一人俯いている私に、三郎さんが大口を開けて笑った。

「はっはっはっはっ!ま、なんにせよ。ここまで来たんだ。毒をなんたら皿までって言わせるけどな」

 そんな事気にするな、と笑い飛ばすように三郎さんは言う。
 役に立つかなんて関係なく、付いて来い。そう言ってくれたのだ。
 それを嬉しく思いながらも、どこか一人で居たほうが楽なのに、そう思っている私も居た。

「……三郎さんは毒、ですか。なら仕方ないですね」

 それが私の声だと気づくのに、なぜか時間が掛かった。 

「……毒の扱いは得意なんです。最後までお供させていただきますね」

 私が三郎さんに笑い返した。
 ああ、二人と一緒に居られるのが嬉しいんだ。なんて、人事のように感じた。
 耳鳴りはやまない。声はますます遠くなっていくようだった。

「つま……は皿……界……い皿……」

 シンシアさんが真顔で何かを言い、私が笑う。

「あげは……ない……食って……安心……はっはっはっ」

 三郎さんが私に何かを言って、いつものように大声で笑う。
 楽しそうな光景に見えた。
 なのに私は、どこか冷めた気持ちでそれを眺めている。

「ふふ、頼りにしてますよ、三郎さん」

 その私の声だけは、はっきりと聞き取れた。
 まるで別人のようなその声は、随分と楽しそうに弾んでいた。
 それが解って、私の違和感は決定的に膨らんだ。

 ……これは、だれなんだろう?

 ――なにかが軋むような音がした。
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